学園ニュース
学園ニュース 2023年3月号(271号)
【短大】
■◆■千葉明徳短期大学 講師 大澤 ちづる■◆■
3月15日(水)、京成ミラマーレホテルにて第52回卒業証書授与式が執り行われました。
52回生はコロナ渦に入学し、2年間の学生生活は制限の多い学年でした。しかしながら、卒業生代表として「回想とメッセージ」を述べてくれた田子さんは、制限の多い中、学友会や委員会に属したり、フィールドワークに参加したり、自ら積極的に動くことで充実した学生生活を築いてきたことが伺え、田子さんの「明徳愛」が伝わってきます。このような学生が巣立っていくのは、教員としてもとても嬉しいものです。「卒業生の回想とメッセージ」
■◆■卒業生代表 田子 采佳■◆■
日々、景色が春の色に染まっていく季節となり、新生活への期待も膨らんできました。今日で終わりを告げる学生生活を振り返ってみると、長くて大変だったようで、あっという間でした。私は、明徳で2年間、とても充実した楽しい時間を過ごせたと感じています。皆さんはどうだったでしょうか?
私が明徳に興味をもったのは、アドミッションの先生方に惹かれたからです。たった1度オープンキャンパスに参加しただけで、顔と名前を覚えてくださった先生がいました。次に附属幼稚園の保育体験に参加させていただいたときに、「この間オープンキャンパスに来てくれたよね?」と声をかけられた時の衝撃は忘れられません。その後もオープンキャンパスに通い、校内の雰囲気と先生と先輩のかかわりから、明徳のアットホームさにも強く魅力を感じ入学を決めました。
コロナ禍により、不安もある中で始まった1年生の学生生活では、保育内容演習をはじめとする一部の授業を除いて、多くがリモート授業でした。家での時間が充実した半面、学校に通う日数が少なく、友達や子どもと関われなかった寂しさがありました。行事などもなかなか行うことが出来なかったことから、「学生生活」を思いっきり楽しむことはできなかったように思います。2年生になって、新1年生が、はじめから対面授業を受けていることに、うらやましさを感じました。それでも2年生の学生生活は対面となり、5限まで授業がある大変さを感じた日もありましたが、出来る活動も増えて、楽しい日々でした。そして、今日の卒業式を全員で行うことができ、嬉しく思います。
学校生活の思い出を振り返ると、とても大変だった「実習」が思い浮かびます。1年の保育・施設実習では、コロナの影響で実習が思い通りに進まず、途中で帰ることになっては「最後まで頑張れるのか」、いつ終わってしまってもおかしくはないという状況に、不安と緊張でいっぱいでした。学校への報告の電話で、先生の声を聞いて安心し、涙が出ていました。
2年生の教育実習も、例年とは違うことに誰もが不安だったと思います。私は特に責任実習に不安を感じていましたが、実習指導で先生からいただいた「失敗をしてきてください。初めからうまくできないのなんて当たり前。それも経験だから。」という言葉に納得し、緊張が和らぎました。本当にたくさん失敗をして、反省ばかりで落ち込みました。ですが、そんな保育でも子どもの「楽しかった」という言葉に「失敗をしないことだけがいい保育なのではなく、それよりも楽しい時間を共有できることがいい保育」なのだと気づかされました。とても大変だったけれど、先生や友達に支えられて、この失敗は私の経験として、しっかりと学びになりました。
明徳では、学内の授業だけでなく、様々な経験をすることもできました。私が参加したプレイパークと遠野のフィールドワークは初めての経験が多く、正直、不安や戸惑いもありました。しかし、それ以上にロープを使った遊びや泥に入って遊ぶこと、現地の言葉での昔話の語りを聞くことやお祭りの参加など、どれも自分一人では出来なかった経験になりました。珍しい経験ばかりでずっとスマホを片手に写真をたくさん撮って学校でのポスター作りに凝りすぎてしまったり、逆に夢中になって体験してしまい写真の少なさに困ったりもしました。
月歩学歩委員の活動では、先輩方の企画を引き継いで、学生企画を作ったり、自分たちが気になった実習関係のインタビューをしたり、こだわったページを作ることも楽しかったです。作業をしながら、先輩や後輩、先生方に日常的な質問をしたり、世間話で共感し、盛り上がったりしたことも思い出に残っています。
私の楽しかった2年間の明徳での生活は私一人では送ることは出来ませんでした。まずは仲間の存在です。1年次に「学園祭に参加したい」と保育内容の仲間を中心とした友達に声を掛けたら、「一緒にやりたい」と言ってくれた友達がいました。開催は叶わなかったけれど、準備過程はすごく楽しくて、「来年は開催したい」という気持ちになりました。そして、2年次に学友会に立候補し、学園祭とスポーツ大会を開催することができました。やりたいことをすべて行えないもどかしさもありましたが、参加してくれた、学生や親子から「楽しかった」という言葉を聞けて胸がいっぱいになりました。
そして、私たちの「やりたい」という様々なわがままを「いろいろなことを経験させてあげたい」と支え、かなえて下さったのは先生方でした。学園祭やスポーツ大会では、忙しい中、コロナ禍でも安心して出来るように必要な配慮は何か、どんな資料を作ったらいいのかを一緒に考えて、確認してくださいました。
何よりも先生方には、授業や実習の相談に乗ってもらったり、楽しみを共有したりと、日々の学生生活を支えてくださったことに感謝しています。本当にありがとうございました。友達や、先生とのかかわりを通して、明徳で大学生活を過ごせて本当によかったと思っています。
最後に、大学生活2年間を支えてくれた母へ。お母さんがいてくれたおかげで、安心して学校の様々なことに参加し、今までで一番楽しい学生生活を送ることが出来ました。不規則な生活と慣れない実習など大変なことも多くあったけれど、応援し見守ってくれたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。
私たちはこれから、明徳を卒業してそれぞれの道を進んでいきます。保育者として働く人も、他の道を選んだ人もいます。それぞれの道では不安に思うことや失敗もたくさんあると思います。ですが明徳で2年間学んだ私たちなら、その先の達成感や喜びを感じて楽しめることでしょう。これからも一緒に元気に頑張っていきましょう。
▲
【高校】
■◆■千葉明徳高等学校 教諭(3学年主任) 島村 晃■◆■
令和5年3月1日(水)、千葉明徳高等学校より293名の生徒が、新たに巣立って行きました。
3年前の入学式は、保護者も参列できず、また全員がマスク着用という異例な対応の船出をせざるを得ない状況でした。その時の私は、今後3年間をどのように舵を取れば良いのかと不安しか感じられませんでした。ただ、それでも高校生活においては、受け身ではなく常に主体的に過ごして欲しいと願うとともに、多くの新しいことに挑戦を続けながら、新しい景色の中で常に自分を成長させて欲しい、そして卒業する令和5年には、成人年齢が18歳に引き下げられるということも含め、これからの大きな成長や仲間との共有から得られる様々な体験をバネにし、力強く今後の社会を生き抜いていくための力をつけて欲しいという願いを込めて、学年通信を「Infinity」と名付けました。
残念ながら不安は的中し、波乱の幕開けとなりました。学校関係者のみで挙行された入学式を経て、自宅にて郵送された課題を黙々と取り組むだけの学校生活が約2か月も続きました。6月になり、ようやく出席番号の奇数と偶数に分かれての登校が再開されましたが、全員が揃う形での学校生活はまだ先でした。そのような中、ようやく手元に届いたiPadによるオンライン授業が始まり、画面の先には、朝から制服にきちんと着替えてZoomによるSHRに参加する生徒の姿が見られるようになりました。オンライン授業では、ネットワーク関係の回線の不都合などもしばしばありましたが、欠席もほとんどなく、非常に良好な出席率でした。そして、7月になってようやく通常登校ができるようになりました。しかしこの間、クラスの親睦を図る遠足も中止となり、級友たちとの交流すら図れない状態でした。あまつさえ中間考査までも実施されることはありませんでした。以後2学期もその影響は大きく、文化祭は規模を縮小して実施し、全校生徒での体育祭は学年対抗の球技大会へ変更して行わざるを得ませんでした。
2年生に進級したのも束の間、一向に収束を見せないコロナは、高校生活最大のイベントであり生徒達にとって一番の思い出作りの場になる「研修旅行」までをも奪い去ってしまいました。度重なる延期を重ねながら、それまで一縷の望みを繋いでいた我々でしたが、正直この決定は大変辛いものでした。加えて、部活動やボランティア活動、オープンキャンパスへの参加なども規制され続けたことで、成功体験を重ねる機会や自己の進路決定に繋げる場も昨年同様に逸することとなりました。
今年度になり、ようやくコロナの猛威が収まってきたことで、3年生として初めて無事に文化祭を実施することができ、また体育祭は午前中のみの短縮バージョンとはいえ、民謡やリレー等々の種目が実施されました。クラス全体で笑みをこぼしながら興じている姿は、本来の高校生の姿であり、この3年間本当に苦労を重ねてきた生徒たちの最大の取り組みの場であったことに胸が熱くなる思いでした。そして、関係各所の皆様方のご協力により、卒業証書授与式は昨年度とは異なり、極めて通常時に近い形式で挙行して頂けました。式典関係に初めて参列された保護者様方に対して、一人ひとりが凛とした姿で入退場する姿を見せてくれたことで、色々なことがあった3年間においても人知れず生徒達は成長していたのだと再認識しました。この度の卒業証書授与式について、3学年代表生徒として答辞を行った加藤紗妃さんの答辞文章を掲載することが最も様子を感じられることだと思い、ここに全文を掲載いたします。
やわらかな春の日差しで寒さも和らぎ、桜の花が待ち遠しい季節となりました。今日、多くのご来賓、保護者の皆様のご出席のもとに、このような心温まる素晴らしい卒業式を挙行していただきましたことを、卒業生一同、心より感謝申し上げます。先ほどより、校長先生、来賓の方々、在校生からいただいた数々のお祝いや激励の言葉を胸に、私たち293名は今日の佳き日をもって慣れ親しんだ千葉明徳高校を卒業します。
3年前の4月、新しい制服を身に纏い、高校の門を潜った入学式。新型コロナウイルスの影響で例年よりも小規模な形で挙行されました。私たちの晴れ姿を保護者に見てもらうこともできませんでしたが、多くの方の協力があって入学式を挙げることができたと知り、感謝の気持ちでいっぱいでした。しかし、これからの生活を共にするクラスメイトの表情もマスクで隠れてまともに見ることができず、入学後も分散登校やオンラインでの授業が続き、同級生と会うことすらできない状況で、新しい環境に慣れることに必死でした。経験したことのない日々の連続で戸惑うこと不安に思うことも多くあったのですが、かえって友達や先生を会える日を大切にする気持ちと、自ら行動してお互いを助け合う精神が生まれました。
1年生の10月に行なわれた文化祭は何もかもが初めてで、クラスメイトと分担して進めていく中で、意見の食い違いもありましたが、一丸となって作り上げた装飾や映像などが完成した時の達成感はとても大きく感じました。結局、文化祭当日に私たちの教室に遊びに来てくれる生徒がなかなかおらず、切なかったのですが、盛り上がっていた中庭や先輩方の出し物はクオリティーの高い作品が多く、気がつくと私も笑顔で文化祭を楽しんでいました。2年生になると、新型コロナウイルスの影響で楽しみにしていた文化祭は中止になってしまい、準備をしていたのに開催することさえできない悲痛と虚しさを感じました。3年生になると、一か月前から準備を始めるクラスもあり、高校最後の文化祭を最高のものにしようという強い熱意を持って、協力し取り組む姿や、文化祭を生徒と同じくらい待ち望んでいた先生方の姿がありました。私たちのクラスでは、おばけ屋敷のCMを撮るために夜に集まって、人気や街灯のない公園で恐怖に怯えながら撮影をするなど、多くの時間を用いて、楽しみながら取り組むことができました。また、私たちの熱意は後輩にも伝わり、大成功を収めることができました。
1、2年生の体育祭は行うことができませんでしたが、代わりに男子はサッカー、女子はドッジボールで球技大会を行いました。男子も女子も勝利への闘争心を燃やし、顔色を変えて取り組んでおり、いつもとは違った一面を見ることができました。3年生になると、最初で最後の体育祭は幸運なことに雲一つない晴天の中で開催されました。体育の授業から懸命に取り組み、どのクラスも準備万端な状態で臨みました。結果的には、勝負強く、まとまりのあるアスリートコースの生徒に圧倒されました。しかし、他のクラスも誰一人手を抜かずに一丸となって戦っていって、迫力がありました。さらに自分が参加しないところでも全力で応援する生徒や見て楽しむ生徒、笑顔で写真を撮る生徒など様々な形で体育祭を楽しんでいる姿が見られてとても面白かったです。また、お互いを励まし合いながら戦う姿はそれぞれの生徒の気持ちを鼓舞し、観戦している方々に勇気を与えることができました。民謡を踊るプログラムでは多くの生徒や先生が浴衣を着て明徳の伝統を楽しんでいました。私たちの楽しそうな姿が保護者を喜ばせることに繋がり、一体となって最高の雰囲気を作り上げることができました。
校外学習ではクラスごとに計画を立て、それぞれが決めた場所で非日常を味わいながら、全力で楽しむことができました。私たちのクラスは貸し切りバスに乗って、八景島シーパラダイスに行きました。水上アトラクションに乗ったことで運悪くびしょ濡れになってしまった同級生や、サッカーの予定と重なり一緒のバスで帰れなかった同級生が別れ際に走ってバスを追いかけ、笑わせてくれた思い出など、その場にいた私たちにしかわからない思い出が沢山できました。他のクラスも同様に一緒に行った仲間にしかわからない感動や体験などを味わうことができたのではないでしょうか。当初の予定であったシンガポールでの研修旅行はできませんでしたが、かけがえのない思い出になりました。
部活動では様々な場面で明徳生が活躍していることを耳にすると自分のことのように嬉しく感じました。全国で結果を残しているチアリーディング部やイチローさんの指導を受けた野球部。他にも多くの部活動で懸命に努力をし続けていた生徒の姿が見受けられました。結果はもちろん大きな証ですが、それ以上に千葉明徳生としての誇りを持ち、多くの時間を費やして努力をした日々はきっと将来の自分の糧になると思います。私は廃部になりかけた女子バスケットボール部で8年ぶりに2年連続で県大会へ出場することができました。私の功績は他の部活動からしたらちっぽけなことかもしれませんが、明徳で諦めずに奮闘し続けたことは私にとって大きな財産になりました。
進路の面では、多くの生徒が自分の進路に真剣に向き合っており、行き先が違えど、互いに切磋琢磨し合う姿にとても感銘を受けました。私は高校受験で第一志望の学校に受かることができず、千葉明徳高校に来ました。そのため、大学受験は躓きたくないと思い、勉学にも懸命に励みました。そのような私に先生はどんな時も相談に乗ってくださり、常に最善を考えてくださいました。おかげで高校生のうちから大学の授業を受け、単位を取得することができ、自分の進路に深く向き合うことができました。先生方の協力がなければ、自分の目指す進路を実現できなかったと心から思います。私は今、高校受験に失敗し躓いたとは一ミリも思っていません。むしろ、ここで大好きな仲間や素敵な先生方と出会い、明徳生として多くの日々を過ごすことができて本当に幸せです。千葉明徳高校を選び、充実した生活を送れたことを誇りに思います。もし、この場に自分の選んだ進路に満足しきれていない人がいたら、これからの進路は自分次第で大きく変わるので自身を持って進んでほしいと思います。
ここまで高校生活を充実させることができたのは、どんな時でも共に笑い、共に泣いて多くの日々を過ごした仲間がいたからだと思います。どんな時も一緒に成長し合い、時には子どものように無邪気に接してくれて本当にありがとう。また、私たちの進路に対して真剣に相談に乗ってアドバイスをしてくださったり、部活動で真摯に向き合い、成長させてくださった先生方。このような情勢の中で私たちのことを第一に考えてくださった先生方のおかげでより一層学校生活を楽しむことができました。そして、在校生のみなさん、多くの場面で私たちに力を貸してくださり、ありがとうございました。行事などの活動ができることは当たり前ではないので、色んな人への感謝の気持ちを忘れずに高校生活を精一杯楽しんでください。
最後にいつでも一番の味方になって支えてくれた家族には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どんな時でも寄り添い素直に話を聞いてくれてありがとう。これからも夢に向かって一生懸命に頑張るのでどんな時でも私の一番の味方でいてください。多くのひとの支えがあってこの日を迎えられたという感謝の気持ちは忘れません。
長いようであっという間の3年間でしたが、思うようにいかない日々も多くあり、ときにはくじけそうになりました。卒業間際に大好きで大切な友達との突然の別れ。毎日ふざけあって何気ないやりとりばかりしていたのに、突然のことで信じられなくて、信じたくなくて、いくら泣いても帰って来るわけではないのに、みんなでひたすら悲しみに暮れていました。そんな時に彼が生前に書いた「元気出せ」の一語にくよくよしている場合ではないのだと気づかされました。このような状況でも碧海に背中を押されるなんて悔しかったけれど、いつまでも碧海らしくて嬉しかった。誰よりも夢に向かって真っ直ぐだった彼を見習って私も彼を驚かせるくらい立派な大人になってみせます。
人生は何が起こるかわからない。それでも、この学校でこんなに素敵で最高な仲間や先生方に出会うことができて幸せです。また、卒業アルバムの写真は行事が少なかった分、選ぶ写真の数も少なく、ほとんどがマスクをした姿のものばかりでした。しかし、何気ない写真には沢山の笑顔が写っており、制限が厳しい日々の中でも高校生活を楽しむ姿はどの高校生にも負けない一瞬一瞬を全力で過ごす絆の深さが表れていました。ここまで話してきたように、千葉明徳高校の三年間で多くの経験をした私たちは強いと思います。この先どんなに高い壁にぶつかっても、ここで得た心強い仲間と共に過ごした日々を思い出して前に進み、私たちらしく駆け抜けます。名残惜しさは尽きませんが、千葉明徳高校のさらなる発展と皆様の幸せを祈り、答辞とさせていただきます。
私は、こんなにも胸打つ卒業証書授与式を作り上げることの出来た生徒達を本当に誇らしく思います。そして、3年前に込めた思いを一人ひとりが自己実現に繋げていけることを改めて感じ、これからの無限の可能性を、更なる成長と頑張りに繋げていくであろうことを確信しています。
最後になりますが、このような素晴らしい卒業証書授与式を迎えることが出来たのも、学園全体の皆様で応援し続けて頂いたおかげです。3年間大変お世話になりました。ありがとうございました。
♬ 制限時間は あなたのこれからの人生 解答用紙は あなたのこれからの人生
答え合わせの 時に私はもういない
だから 採点基準は あなたのこれからの人生 「よーい、はじめ」♬
▲
【中学校】
■◆■千葉明徳中学校 教諭 佐久間 大氣■◆■
3月22日(水)に修了式が行われました。
子どもたちから聞こえてくる鬼のイメージは「怖い」が一番に出てきていました。
それは義務教育の終わりを意味しています。中高一貫10期生と関わって頂いた方々に,この場をお借りして深くお礼申し上げます。公立中学校とは異なり、明徳学園を卒業するのではありませんが、彼らにとって一つの大きな節目となります。いよいよこれからは、本格的に自分の進路実現のために,自分の足で歩いていかなければなりません。これからも多くの方々と関わって、3年後に笑顔で(明徳で6年間過ごしてよかったと思えるように)“卒業”してほしいと思います。3年前、10期生の入学と同時に私の担任業務が始まりました。入学式前に、まだ会ってもいない生徒全員の名前を必死で覚えたことは今でも忘れません。呼名の練習もひたすらしました。そのように意気込んでスタートした新学期でしたが、コロナ禍から始まったため、生徒・教員にとって色々な制約がありました。オンライン授業が開始され、数多くの行事が延期・中止になりました。さらには、生徒の顔半分しか見ることができない日々は、何とも言えない気持ちでした。その中でも、日々生徒たちの成長を少しずつ見ることができて幸せでした。生徒指導・学習指導がメインだった1・2年目、生徒の新しい一面が垣間見える林間学校・修学旅行など行事が多くあった3年目はあっという間でした。一生懸命に向き合っているからこそ、生徒と言い合いになることもありました。多感な時期にある中学生との関わりは、私の教員生活にとって大きな財産となりました。4月からは私の教員生活も6年目となります。コロナ禍ではありましたが、中学校の一通りの行事を経験することができました。もちろんまだまだ未熟な部分がたくさんあるので、今後も日々精進していきたいと思います。
“「生きている」ということは誰かに借りをつくること「生きていく」ということはその借りを返していくこと”(永 六輔)
▲
【幼稚園】
■◆■千葉明徳短期大学附属幼稚園 保育教諭 五十嵐 実季■◆■
卒園式当日は、子どもたちをお祝いしてくれるかのようにとても暖かな日となりました。
卒園までの日々、就学を楽しみにする子やもうすぐみんなと会えなくなってしまう寂しさを感じている子など、さまざまな表情や様子が見られていました。当日は時間よりも早く登園し、3クラスを行き来して友だちと声高らかに満面の笑顔で話をしていて、いつもとは違う気持ちの高まりが感じられました。自分たちが主役の卒園式なので、寂しさよりも嬉しさがあふれ出たのでしょうね。
各クラスで準備をし、ホールへ向かう時にはグッと表情が引き締まり、いい緊張感をもって会場へと入場することができました。証書授与では、一人ずつ返事をし、受けとった証書を高々と上げる姿はとても立派でした。3クラスで声を合わせることがなかなか難しく、何度もくり返してきた別れの言葉や歌も、当日は子どもたちの気持ちが合い、保護者や来賓の方、職員の心に響く素敵な卒園式となりました。最後までやりきった子どもたちは、晴れ晴れとした表情でめいとく幼稚園を巣立っていきました。
今年度は、幼稚園から認定こども園に移行し、山の幼稚園1歳児組から入園した子どもたちが初めて卒園しました。1歳から5歳という長い時間を幼稚園で過ごしてきた子どもたちの成長は、保護者だけでなく、保育者も感慨深い思いです。
友だちや先生たちと出会い、楽しかったな、嬉しかったな、うまくできなかったけど、できるようになった!など、たくさんのことを心で感じてきたことが、小学校へ行った時に子どもたちの力となり、学校生活を送る自信につながってほしいと願っています。
今後は、子どもたちを陰ながら応援したいと思っています。あらためて年長組のみなさん、ご卒園おめでとうございます。
▲
【本八幡】
■◆■明徳本八幡駅保育園 園長 丸山 敦子■◆■
子どもたちに伝承していきたいことを、子どもたちに分かりやすく話すことを積み重ねてきた一年間。
3月は、雛祭りの雛人形づくりをしたときに自分たちが、どうしてこの制作をしているのかが分かり、さらに、自分の思いを作品に取り入れる姿を見ることができました。子どもたちの成長は、自ら伸びる力はもちろんですが、保育士が丁寧に関わってきたことの証でもあります。子どもも保育士も、ニコニコ笑顔の雛祭りになりました。幼児クラスを新設し、みんなが進級する次年度が楽しみです!
▲
【浜野】
■◆■明徳浜野駅保育園 保育士 吉田 勇太■◆■
3月8日(水)、年長児6人で卒園クッキング【桃ジャムづくり】を行いました。
今年の年長さん達はさくら組(3~5歳の縦割りクラス)に入ってから、コロナ禍で様々な制限の中で過ごしてきました。年長児になってからも行事と体調不良が重なり、6人全員でおたのしみ会やクッキングを行えずに悔しさを感じていました。それは保護者も同じで、「みんなでできたら…」といったやりとりも何度となくしてきました。
2月中旬、この活動を行うことを年長児に伝えると、「やったー!」「早くやりたい!」と大喜び。翌日には早くもエプロンセットを持ってくるお子さんもいました。当日までの目標として、手洗いうがいや早寝早起きなど、子ども達自らが体調管理を行えるように約束を交わしてクッキングを心待ちにしました。
クッキング当日、嬉しさとドキドキ感を感じている子どもたちでしたが、準備が始まると集中力が高まり、保育者の話を聞いたり見本を見たりしながら落ち着いて調理に取り掛かることができました。普段から家庭で手伝いをしていたり、桃を切るうちに早くもコツを掴んだお子さんもいたので、調理はあっという間に進んでいきました。指を切らないように真剣に桃を見たり、「ずっと触っていると冷たいね」、(桃をお湯で加熱して)「あれ、においが変わった?」、(果汁を入れるためにレモンを用意すると)「レモン!?レモン切った?」など、五感を刺激しながらクッキングを楽しみました。
ジャムはおやつの時間に食パンと一緒に食べました。自分が食べたい分を好きなだけ塗っていいルールだったので、子どもたちは大興奮で食べていました。「年長さん作ってくれてありがとう」と年下児に喜んでもらい、「みんなでできて良かった」と達成感を感じながら食べているお子さん達の様子を見て、子どもたちの暖かい思い出の一つとなったことを実感しました。今後も年長児を中心とした行事が続いていくので、みんなで楽しく元気に過ごしていきたいと強く願っています。
▲
【やちまた】
■◆■明徳やちまたこども園 保育教諭(3歳児さくら組担任) 大竹 潤弥■◆■
この1年間を振り返ると、子ども達と一緒にたくさん遊ぼうと思い、様々な遊びに関わってきました。
オオカミごっこ、しっぽとり、だるまさんがころんだなど様々な集団遊びや普段の生活を通して子ども達のたくさんの成長が見られました。
入職して1年目で担任としてクラスに入ると、4月当初は色々な子ども達の姿に戸惑いを感じることも多くありました。しかし、考えていく中で「この子はどんなことに興味を持っているのだろう?」「どういう子なのだろう?」ということを理解していけるようになり、その子に合った言葉掛けを考えることができるようになってきました。
一緒に生活していないと分からないこともたくさんあり、子どもの成長を大きく実感できたのは、10月に行われた運動会や2月の育ちを祝う会などの大きな行事です。そして、季節ごとにある行事を経験したことが、子ども達の中でも大きな成長に繋がっていると感じました。
遊びの中でも自分が楽しむことで子ども達も一緒になって楽しみ、色々な集団遊びが増えていきました。こうして振り返っていくと、1年間の日々の積み重ねはとても大切だと思いました。3歳児は乳児から幼児への切り替えの時期です。最初のころは制服の着脱すら出来ず、畳んでしまうのも一苦労だった子ども達。今では制服を自分で脱ぎ、きれいに畳んでしまうところまで大人が見ていなくても自分達で出来ています。上半期は部屋への入室も、遊びから切り替えられず部屋に入ってこれなかった子もいました。しかし生活する中で、下半期は次の活動への見通しを持てるまでになっていました。
1年間やってきて自分も一人ひとりの成長を見守りながら、何かを一緒にやることの大切さを知り、自分自身も成長できたと感じています。4月からは後輩も入ってきます。先輩方に学んだことを生かして伝えていきたいと思います。
▲
■◆■千葉明徳短期大学 講師 大澤 ちづる■◆■
3月15日(水)、京成ミラマーレホテルにて第52回卒業証書授与式が執り行われました。
52回生はコロナ渦に入学し、2年間の学生生活は制限の多い学年でした。しかしながら、卒業生代表として「回想とメッセージ」を述べてくれた田子さんは、制限の多い中、学友会や委員会に属したり、フィールドワークに参加したり、自ら積極的に動くことで充実した学生生活を築いてきたことが伺え、田子さんの「明徳愛」が伝わってきます。このような学生が巣立っていくのは、教員としてもとても嬉しいものです。
■◆■卒業生代表 田子 采佳■◆■
日々、景色が春の色に染まっていく季節となり、新生活への期待も膨らんできました。今日で終わりを告げる学生生活を振り返ってみると、長くて大変だったようで、あっという間でした。私は、明徳で2年間、とても充実した楽しい時間を過ごせたと感じています。皆さんはどうだったでしょうか?
私が明徳に興味をもったのは、アドミッションの先生方に惹かれたからです。たった1度オープンキャンパスに参加しただけで、顔と名前を覚えてくださった先生がいました。次に附属幼稚園の保育体験に参加させていただいたときに、「この間オープンキャンパスに来てくれたよね?」と声をかけられた時の衝撃は忘れられません。その後もオープンキャンパスに通い、校内の雰囲気と先生と先輩のかかわりから、明徳のアットホームさにも強く魅力を感じ入学を決めました。
コロナ禍により、不安もある中で始まった1年生の学生生活では、保育内容演習をはじめとする一部の授業を除いて、多くがリモート授業でした。家での時間が充実した半面、学校に通う日数が少なく、友達や子どもと関われなかった寂しさがありました。行事などもなかなか行うことが出来なかったことから、「学生生活」を思いっきり楽しむことはできなかったように思います。2年生になって、新1年生が、はじめから対面授業を受けていることに、うらやましさを感じました。それでも2年生の学生生活は対面となり、5限まで授業がある大変さを感じた日もありましたが、出来る活動も増えて、楽しい日々でした。そして、今日の卒業式を全員で行うことができ、嬉しく思います。
学校生活の思い出を振り返ると、とても大変だった「実習」が思い浮かびます。1年の保育・施設実習では、コロナの影響で実習が思い通りに進まず、途中で帰ることになっては「最後まで頑張れるのか」、いつ終わってしまってもおかしくはないという状況に、不安と緊張でいっぱいでした。学校への報告の電話で、先生の声を聞いて安心し、涙が出ていました。
2年生の教育実習も、例年とは違うことに誰もが不安だったと思います。私は特に責任実習に不安を感じていましたが、実習指導で先生からいただいた「失敗をしてきてください。初めからうまくできないのなんて当たり前。それも経験だから。」という言葉に納得し、緊張が和らぎました。本当にたくさん失敗をして、反省ばかりで落ち込みました。ですが、そんな保育でも子どもの「楽しかった」という言葉に「失敗をしないことだけがいい保育なのではなく、それよりも楽しい時間を共有できることがいい保育」なのだと気づかされました。とても大変だったけれど、先生や友達に支えられて、この失敗は私の経験として、しっかりと学びになりました。
明徳では、学内の授業だけでなく、様々な経験をすることもできました。私が参加したプレイパークと遠野のフィールドワークは初めての経験が多く、正直、不安や戸惑いもありました。しかし、それ以上にロープを使った遊びや泥に入って遊ぶこと、現地の言葉での昔話の語りを聞くことやお祭りの参加など、どれも自分一人では出来なかった経験になりました。珍しい経験ばかりでずっとスマホを片手に写真をたくさん撮って学校でのポスター作りに凝りすぎてしまったり、逆に夢中になって体験してしまい写真の少なさに困ったりもしました。
月歩学歩委員の活動では、先輩方の企画を引き継いで、学生企画を作ったり、自分たちが気になった実習関係のインタビューをしたり、こだわったページを作ることも楽しかったです。作業をしながら、先輩や後輩、先生方に日常的な質問をしたり、世間話で共感し、盛り上がったりしたことも思い出に残っています。
私の楽しかった2年間の明徳での生活は私一人では送ることは出来ませんでした。まずは仲間の存在です。1年次に「学園祭に参加したい」と保育内容の仲間を中心とした友達に声を掛けたら、「一緒にやりたい」と言ってくれた友達がいました。開催は叶わなかったけれど、準備過程はすごく楽しくて、「来年は開催したい」という気持ちになりました。そして、2年次に学友会に立候補し、学園祭とスポーツ大会を開催することができました。やりたいことをすべて行えないもどかしさもありましたが、参加してくれた、学生や親子から「楽しかった」という言葉を聞けて胸がいっぱいになりました。
そして、私たちの「やりたい」という様々なわがままを「いろいろなことを経験させてあげたい」と支え、かなえて下さったのは先生方でした。学園祭やスポーツ大会では、忙しい中、コロナ禍でも安心して出来るように必要な配慮は何か、どんな資料を作ったらいいのかを一緒に考えて、確認してくださいました。
何よりも先生方には、授業や実習の相談に乗ってもらったり、楽しみを共有したりと、日々の学生生活を支えてくださったことに感謝しています。本当にありがとうございました。友達や、先生とのかかわりを通して、明徳で大学生活を過ごせて本当によかったと思っています。
最後に、大学生活2年間を支えてくれた母へ。お母さんがいてくれたおかげで、安心して学校の様々なことに参加し、今までで一番楽しい学生生活を送ることが出来ました。不規則な生活と慣れない実習など大変なことも多くあったけれど、応援し見守ってくれたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。
私たちはこれから、明徳を卒業してそれぞれの道を進んでいきます。保育者として働く人も、他の道を選んだ人もいます。それぞれの道では不安に思うことや失敗もたくさんあると思います。ですが明徳で2年間学んだ私たちなら、その先の達成感や喜びを感じて楽しめることでしょう。これからも一緒に元気に頑張っていきましょう。
【高校】
■◆■千葉明徳高等学校 教諭(3学年主任) 島村 晃■◆■
令和5年3月1日(水)、千葉明徳高等学校より293名の生徒が、新たに巣立って行きました。
3年前の入学式は、保護者も参列できず、また全員がマスク着用という異例な対応の船出をせざるを得ない状況でした。その時の私は、今後3年間をどのように舵を取れば良いのかと不安しか感じられませんでした。ただ、それでも高校生活においては、受け身ではなく常に主体的に過ごして欲しいと願うとともに、多くの新しいことに挑戦を続けながら、新しい景色の中で常に自分を成長させて欲しい、そして卒業する令和5年には、成人年齢が18歳に引き下げられるということも含め、これからの大きな成長や仲間との共有から得られる様々な体験をバネにし、力強く今後の社会を生き抜いていくための力をつけて欲しいという願いを込めて、学年通信を「Infinity」と名付けました。
残念ながら不安は的中し、波乱の幕開けとなりました。学校関係者のみで挙行された入学式を経て、自宅にて郵送された課題を黙々と取り組むだけの学校生活が約2か月も続きました。6月になり、ようやく出席番号の奇数と偶数に分かれての登校が再開されましたが、全員が揃う形での学校生活はまだ先でした。そのような中、ようやく手元に届いたiPadによるオンライン授業が始まり、画面の先には、朝から制服にきちんと着替えてZoomによるSHRに参加する生徒の姿が見られるようになりました。オンライン授業では、ネットワーク関係の回線の不都合などもしばしばありましたが、欠席もほとんどなく、非常に良好な出席率でした。そして、7月になってようやく通常登校ができるようになりました。しかしこの間、クラスの親睦を図る遠足も中止となり、級友たちとの交流すら図れない状態でした。あまつさえ中間考査までも実施されることはありませんでした。以後2学期もその影響は大きく、文化祭は規模を縮小して実施し、全校生徒での体育祭は学年対抗の球技大会へ変更して行わざるを得ませんでした。
2年生に進級したのも束の間、一向に収束を見せないコロナは、高校生活最大のイベントであり生徒達にとって一番の思い出作りの場になる「研修旅行」までをも奪い去ってしまいました。度重なる延期を重ねながら、それまで一縷の望みを繋いでいた我々でしたが、正直この決定は大変辛いものでした。加えて、部活動やボランティア活動、オープンキャンパスへの参加なども規制され続けたことで、成功体験を重ねる機会や自己の進路決定に繋げる場も昨年同様に逸することとなりました。
今年度になり、ようやくコロナの猛威が収まってきたことで、3年生として初めて無事に文化祭を実施することができ、また体育祭は午前中のみの短縮バージョンとはいえ、民謡やリレー等々の種目が実施されました。クラス全体で笑みをこぼしながら興じている姿は、本来の高校生の姿であり、この3年間本当に苦労を重ねてきた生徒たちの最大の取り組みの場であったことに胸が熱くなる思いでした。そして、関係各所の皆様方のご協力により、卒業証書授与式は昨年度とは異なり、極めて通常時に近い形式で挙行して頂けました。式典関係に初めて参列された保護者様方に対して、一人ひとりが凛とした姿で入退場する姿を見せてくれたことで、色々なことがあった3年間においても人知れず生徒達は成長していたのだと再認識しました。この度の卒業証書授与式について、3学年代表生徒として答辞を行った加藤紗妃さんの答辞文章を掲載することが最も様子を感じられることだと思い、ここに全文を掲載いたします。
やわらかな春の日差しで寒さも和らぎ、桜の花が待ち遠しい季節となりました。今日、多くのご来賓、保護者の皆様のご出席のもとに、このような心温まる素晴らしい卒業式を挙行していただきましたことを、卒業生一同、心より感謝申し上げます。先ほどより、校長先生、来賓の方々、在校生からいただいた数々のお祝いや激励の言葉を胸に、私たち293名は今日の佳き日をもって慣れ親しんだ千葉明徳高校を卒業します。
3年前の4月、新しい制服を身に纏い、高校の門を潜った入学式。新型コロナウイルスの影響で例年よりも小規模な形で挙行されました。私たちの晴れ姿を保護者に見てもらうこともできませんでしたが、多くの方の協力があって入学式を挙げることができたと知り、感謝の気持ちでいっぱいでした。しかし、これからの生活を共にするクラスメイトの表情もマスクで隠れてまともに見ることができず、入学後も分散登校やオンラインでの授業が続き、同級生と会うことすらできない状況で、新しい環境に慣れることに必死でした。経験したことのない日々の連続で戸惑うこと不安に思うことも多くあったのですが、かえって友達や先生を会える日を大切にする気持ちと、自ら行動してお互いを助け合う精神が生まれました。
1年生の10月に行なわれた文化祭は何もかもが初めてで、クラスメイトと分担して進めていく中で、意見の食い違いもありましたが、一丸となって作り上げた装飾や映像などが完成した時の達成感はとても大きく感じました。結局、文化祭当日に私たちの教室に遊びに来てくれる生徒がなかなかおらず、切なかったのですが、盛り上がっていた中庭や先輩方の出し物はクオリティーの高い作品が多く、気がつくと私も笑顔で文化祭を楽しんでいました。2年生になると、新型コロナウイルスの影響で楽しみにしていた文化祭は中止になってしまい、準備をしていたのに開催することさえできない悲痛と虚しさを感じました。3年生になると、一か月前から準備を始めるクラスもあり、高校最後の文化祭を最高のものにしようという強い熱意を持って、協力し取り組む姿や、文化祭を生徒と同じくらい待ち望んでいた先生方の姿がありました。私たちのクラスでは、おばけ屋敷のCMを撮るために夜に集まって、人気や街灯のない公園で恐怖に怯えながら撮影をするなど、多くの時間を用いて、楽しみながら取り組むことができました。また、私たちの熱意は後輩にも伝わり、大成功を収めることができました。
1、2年生の体育祭は行うことができませんでしたが、代わりに男子はサッカー、女子はドッジボールで球技大会を行いました。男子も女子も勝利への闘争心を燃やし、顔色を変えて取り組んでおり、いつもとは違った一面を見ることができました。3年生になると、最初で最後の体育祭は幸運なことに雲一つない晴天の中で開催されました。体育の授業から懸命に取り組み、どのクラスも準備万端な状態で臨みました。結果的には、勝負強く、まとまりのあるアスリートコースの生徒に圧倒されました。しかし、他のクラスも誰一人手を抜かずに一丸となって戦っていって、迫力がありました。さらに自分が参加しないところでも全力で応援する生徒や見て楽しむ生徒、笑顔で写真を撮る生徒など様々な形で体育祭を楽しんでいる姿が見られてとても面白かったです。また、お互いを励まし合いながら戦う姿はそれぞれの生徒の気持ちを鼓舞し、観戦している方々に勇気を与えることができました。民謡を踊るプログラムでは多くの生徒や先生が浴衣を着て明徳の伝統を楽しんでいました。私たちの楽しそうな姿が保護者を喜ばせることに繋がり、一体となって最高の雰囲気を作り上げることができました。
校外学習ではクラスごとに計画を立て、それぞれが決めた場所で非日常を味わいながら、全力で楽しむことができました。私たちのクラスは貸し切りバスに乗って、八景島シーパラダイスに行きました。水上アトラクションに乗ったことで運悪くびしょ濡れになってしまった同級生や、サッカーの予定と重なり一緒のバスで帰れなかった同級生が別れ際に走ってバスを追いかけ、笑わせてくれた思い出など、その場にいた私たちにしかわからない思い出が沢山できました。他のクラスも同様に一緒に行った仲間にしかわからない感動や体験などを味わうことができたのではないでしょうか。当初の予定であったシンガポールでの研修旅行はできませんでしたが、かけがえのない思い出になりました。
部活動では様々な場面で明徳生が活躍していることを耳にすると自分のことのように嬉しく感じました。全国で結果を残しているチアリーディング部やイチローさんの指導を受けた野球部。他にも多くの部活動で懸命に努力をし続けていた生徒の姿が見受けられました。結果はもちろん大きな証ですが、それ以上に千葉明徳生としての誇りを持ち、多くの時間を費やして努力をした日々はきっと将来の自分の糧になると思います。私は廃部になりかけた女子バスケットボール部で8年ぶりに2年連続で県大会へ出場することができました。私の功績は他の部活動からしたらちっぽけなことかもしれませんが、明徳で諦めずに奮闘し続けたことは私にとって大きな財産になりました。
進路の面では、多くの生徒が自分の進路に真剣に向き合っており、行き先が違えど、互いに切磋琢磨し合う姿にとても感銘を受けました。私は高校受験で第一志望の学校に受かることができず、千葉明徳高校に来ました。そのため、大学受験は躓きたくないと思い、勉学にも懸命に励みました。そのような私に先生はどんな時も相談に乗ってくださり、常に最善を考えてくださいました。おかげで高校生のうちから大学の授業を受け、単位を取得することができ、自分の進路に深く向き合うことができました。先生方の協力がなければ、自分の目指す進路を実現できなかったと心から思います。私は今、高校受験に失敗し躓いたとは一ミリも思っていません。むしろ、ここで大好きな仲間や素敵な先生方と出会い、明徳生として多くの日々を過ごすことができて本当に幸せです。千葉明徳高校を選び、充実した生活を送れたことを誇りに思います。もし、この場に自分の選んだ進路に満足しきれていない人がいたら、これからの進路は自分次第で大きく変わるので自身を持って進んでほしいと思います。
ここまで高校生活を充実させることができたのは、どんな時でも共に笑い、共に泣いて多くの日々を過ごした仲間がいたからだと思います。どんな時も一緒に成長し合い、時には子どものように無邪気に接してくれて本当にありがとう。また、私たちの進路に対して真剣に相談に乗ってアドバイスをしてくださったり、部活動で真摯に向き合い、成長させてくださった先生方。このような情勢の中で私たちのことを第一に考えてくださった先生方のおかげでより一層学校生活を楽しむことができました。そして、在校生のみなさん、多くの場面で私たちに力を貸してくださり、ありがとうございました。行事などの活動ができることは当たり前ではないので、色んな人への感謝の気持ちを忘れずに高校生活を精一杯楽しんでください。
最後にいつでも一番の味方になって支えてくれた家族には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どんな時でも寄り添い素直に話を聞いてくれてありがとう。これからも夢に向かって一生懸命に頑張るのでどんな時でも私の一番の味方でいてください。多くのひとの支えがあってこの日を迎えられたという感謝の気持ちは忘れません。
長いようであっという間の3年間でしたが、思うようにいかない日々も多くあり、ときにはくじけそうになりました。卒業間際に大好きで大切な友達との突然の別れ。毎日ふざけあって何気ないやりとりばかりしていたのに、突然のことで信じられなくて、信じたくなくて、いくら泣いても帰って来るわけではないのに、みんなでひたすら悲しみに暮れていました。そんな時に彼が生前に書いた「元気出せ」の一語にくよくよしている場合ではないのだと気づかされました。このような状況でも碧海に背中を押されるなんて悔しかったけれど、いつまでも碧海らしくて嬉しかった。誰よりも夢に向かって真っ直ぐだった彼を見習って私も彼を驚かせるくらい立派な大人になってみせます。
人生は何が起こるかわからない。それでも、この学校でこんなに素敵で最高な仲間や先生方に出会うことができて幸せです。また、卒業アルバムの写真は行事が少なかった分、選ぶ写真の数も少なく、ほとんどがマスクをした姿のものばかりでした。しかし、何気ない写真には沢山の笑顔が写っており、制限が厳しい日々の中でも高校生活を楽しむ姿はどの高校生にも負けない一瞬一瞬を全力で過ごす絆の深さが表れていました。ここまで話してきたように、千葉明徳高校の三年間で多くの経験をした私たちは強いと思います。この先どんなに高い壁にぶつかっても、ここで得た心強い仲間と共に過ごした日々を思い出して前に進み、私たちらしく駆け抜けます。名残惜しさは尽きませんが、千葉明徳高校のさらなる発展と皆様の幸せを祈り、答辞とさせていただきます。
私は、こんなにも胸打つ卒業証書授与式を作り上げることの出来た生徒達を本当に誇らしく思います。そして、3年前に込めた思いを一人ひとりが自己実現に繋げていけることを改めて感じ、これからの無限の可能性を、更なる成長と頑張りに繋げていくであろうことを確信しています。
最後になりますが、このような素晴らしい卒業証書授与式を迎えることが出来たのも、学園全体の皆様で応援し続けて頂いたおかげです。3年間大変お世話になりました。ありがとうございました。
♬ 制限時間は あなたのこれからの人生 解答用紙は あなたのこれからの人生
答え合わせの 時に私はもういない
だから 採点基準は あなたのこれからの人生 「よーい、はじめ」♬
【中学校】
■◆■千葉明徳中学校 教諭 佐久間 大氣■◆■
3月22日(水)に修了式が行われました。
子どもたちから聞こえてくる鬼のイメージは「怖い」が一番に出てきていました。
それは義務教育の終わりを意味しています。中高一貫10期生と関わって頂いた方々に,この場をお借りして深くお礼申し上げます。公立中学校とは異なり、明徳学園を卒業するのではありませんが、彼らにとって一つの大きな節目となります。いよいよこれからは、本格的に自分の進路実現のために,自分の足で歩いていかなければなりません。これからも多くの方々と関わって、3年後に笑顔で(明徳で6年間過ごしてよかったと思えるように)“卒業”してほしいと思います。3年前、10期生の入学と同時に私の担任業務が始まりました。入学式前に、まだ会ってもいない生徒全員の名前を必死で覚えたことは今でも忘れません。呼名の練習もひたすらしました。そのように意気込んでスタートした新学期でしたが、コロナ禍から始まったため、生徒・教員にとって色々な制約がありました。オンライン授業が開始され、数多くの行事が延期・中止になりました。さらには、生徒の顔半分しか見ることができない日々は、何とも言えない気持ちでした。その中でも、日々生徒たちの成長を少しずつ見ることができて幸せでした。生徒指導・学習指導がメインだった1・2年目、生徒の新しい一面が垣間見える林間学校・修学旅行など行事が多くあった3年目はあっという間でした。一生懸命に向き合っているからこそ、生徒と言い合いになることもありました。多感な時期にある中学生との関わりは、私の教員生活にとって大きな財産となりました。4月からは私の教員生活も6年目となります。コロナ禍ではありましたが、中学校の一通りの行事を経験することができました。もちろんまだまだ未熟な部分がたくさんあるので、今後も日々精進していきたいと思います。
“「生きている」ということは誰かに借りをつくること「生きていく」ということはその借りを返していくこと”(永 六輔)
【幼稚園】
■◆■千葉明徳短期大学附属幼稚園 保育教諭 五十嵐 実季■◆■
卒園式当日は、子どもたちをお祝いしてくれるかのようにとても暖かな日となりました。
卒園までの日々、就学を楽しみにする子やもうすぐみんなと会えなくなってしまう寂しさを感じている子など、さまざまな表情や様子が見られていました。当日は時間よりも早く登園し、3クラスを行き来して友だちと声高らかに満面の笑顔で話をしていて、いつもとは違う気持ちの高まりが感じられました。自分たちが主役の卒園式なので、寂しさよりも嬉しさがあふれ出たのでしょうね。
各クラスで準備をし、ホールへ向かう時にはグッと表情が引き締まり、いい緊張感をもって会場へと入場することができました。証書授与では、一人ずつ返事をし、受けとった証書を高々と上げる姿はとても立派でした。3クラスで声を合わせることがなかなか難しく、何度もくり返してきた別れの言葉や歌も、当日は子どもたちの気持ちが合い、保護者や来賓の方、職員の心に響く素敵な卒園式となりました。最後までやりきった子どもたちは、晴れ晴れとした表情でめいとく幼稚園を巣立っていきました。
今年度は、幼稚園から認定こども園に移行し、山の幼稚園1歳児組から入園した子どもたちが初めて卒園しました。1歳から5歳という長い時間を幼稚園で過ごしてきた子どもたちの成長は、保護者だけでなく、保育者も感慨深い思いです。
友だちや先生たちと出会い、楽しかったな、嬉しかったな、うまくできなかったけど、できるようになった!など、たくさんのことを心で感じてきたことが、小学校へ行った時に子どもたちの力となり、学校生活を送る自信につながってほしいと願っています。
今後は、子どもたちを陰ながら応援したいと思っています。あらためて年長組のみなさん、ご卒園おめでとうございます。
【本八幡】
■◆■明徳本八幡駅保育園 園長 丸山 敦子■◆■
子どもたちに伝承していきたいことを、子どもたちに分かりやすく話すことを積み重ねてきた一年間。
3月は、雛祭りの雛人形づくりをしたときに自分たちが、どうしてこの制作をしているのかが分かり、さらに、自分の思いを作品に取り入れる姿を見ることができました。子どもたちの成長は、自ら伸びる力はもちろんですが、保育士が丁寧に関わってきたことの証でもあります。子どもも保育士も、ニコニコ笑顔の雛祭りになりました。幼児クラスを新設し、みんなが進級する次年度が楽しみです!
【浜野】
■◆■明徳浜野駅保育園 保育士 吉田 勇太■◆■
3月8日(水)、年長児6人で卒園クッキング【桃ジャムづくり】を行いました。
今年の年長さん達はさくら組(3~5歳の縦割りクラス)に入ってから、コロナ禍で様々な制限の中で過ごしてきました。年長児になってからも行事と体調不良が重なり、6人全員でおたのしみ会やクッキングを行えずに悔しさを感じていました。それは保護者も同じで、「みんなでできたら…」といったやりとりも何度となくしてきました。
2月中旬、この活動を行うことを年長児に伝えると、「やったー!」「早くやりたい!」と大喜び。翌日には早くもエプロンセットを持ってくるお子さんもいました。当日までの目標として、手洗いうがいや早寝早起きなど、子ども達自らが体調管理を行えるように約束を交わしてクッキングを心待ちにしました。
クッキング当日、嬉しさとドキドキ感を感じている子どもたちでしたが、準備が始まると集中力が高まり、保育者の話を聞いたり見本を見たりしながら落ち着いて調理に取り掛かることができました。普段から家庭で手伝いをしていたり、桃を切るうちに早くもコツを掴んだお子さんもいたので、調理はあっという間に進んでいきました。指を切らないように真剣に桃を見たり、「ずっと触っていると冷たいね」、(桃をお湯で加熱して)「あれ、においが変わった?」、(果汁を入れるためにレモンを用意すると)「レモン!?レモン切った?」など、五感を刺激しながらクッキングを楽しみました。
ジャムはおやつの時間に食パンと一緒に食べました。自分が食べたい分を好きなだけ塗っていいルールだったので、子どもたちは大興奮で食べていました。「年長さん作ってくれてありがとう」と年下児に喜んでもらい、「みんなでできて良かった」と達成感を感じながら食べているお子さん達の様子を見て、子どもたちの暖かい思い出の一つとなったことを実感しました。今後も年長児を中心とした行事が続いていくので、みんなで楽しく元気に過ごしていきたいと強く願っています。
【やちまた】
■◆■明徳やちまたこども園 保育教諭(3歳児さくら組担任) 大竹 潤弥■◆■
この1年間を振り返ると、子ども達と一緒にたくさん遊ぼうと思い、様々な遊びに関わってきました。
オオカミごっこ、しっぽとり、だるまさんがころんだなど様々な集団遊びや普段の生活を通して子ども達のたくさんの成長が見られました。
入職して1年目で担任としてクラスに入ると、4月当初は色々な子ども達の姿に戸惑いを感じることも多くありました。しかし、考えていく中で「この子はどんなことに興味を持っているのだろう?」「どういう子なのだろう?」ということを理解していけるようになり、その子に合った言葉掛けを考えることができるようになってきました。
一緒に生活していないと分からないこともたくさんあり、子どもの成長を大きく実感できたのは、10月に行われた運動会や2月の育ちを祝う会などの大きな行事です。そして、季節ごとにある行事を経験したことが、子ども達の中でも大きな成長に繋がっていると感じました。
遊びの中でも自分が楽しむことで子ども達も一緒になって楽しみ、色々な集団遊びが増えていきました。こうして振り返っていくと、1年間の日々の積み重ねはとても大切だと思いました。3歳児は乳児から幼児への切り替えの時期です。最初のころは制服の着脱すら出来ず、畳んでしまうのも一苦労だった子ども達。今では制服を自分で脱ぎ、きれいに畳んでしまうところまで大人が見ていなくても自分達で出来ています。上半期は部屋への入室も、遊びから切り替えられず部屋に入ってこれなかった子もいました。しかし生活する中で、下半期は次の活動への見通しを持てるまでになっていました。
1年間やってきて自分も一人ひとりの成長を見守りながら、何かを一緒にやることの大切さを知り、自分自身も成長できたと感じています。4月からは後輩も入ってきます。先輩方に学んだことを生かして伝えていきたいと思います。