姉妹校 [ネパール]
2011年 訪問 レポート
ネパール姉妹校訪問2011 明徳高校芸術科 高橋孝夫 |
ネパールガンジで足止め ジュムラから歩いて4時間 ▲top 日本からネパール・ディリチョール村までは本当に遠い。成田~バンコク~カトマンズ~ネパールガンジ~ジュムラ~そこから徒歩約4時間かる。4回飛行機に乗らないと村に到達できない姉妹校って実はネパールではなく、南米アマゾンのどこかの奥地ではないかと思ってしまう。 |
ジュムラから歩いて4時間
|
|
着いたら姉妹校は休校だった ▲top
|
|
ディリチョール村は
|
リンモクシヤ校で温かいセレモニーを受けて授業を実施する ▲top
リンモクシヤ校に到着したのは10時半を過ぎていた。生徒の登校時間は10時からで、すでに朝礼が始まっていた。きれいに整列していて先生の訓示を聞いている。リンモクシヤ校には幼稚園生から高校生まで約800人くらいの生徒数であるという。しかしどう見てもその半分もいない感じだ。理由を聞くとジュムラでのお祭りからまだ帰らない生徒がいるらしい。やはり学校より祭り優先かと半分納得する。どうやら訓示していた先生が私達を紹介している。突然生徒たちの一部が列を曜れ、校庭に咲いている花を摘みはじめた。そのうち我々の前には机が用意され、先生がリンゴにお香を突き立て、いい匂いが漂い始める。そして私達一人ひとりにカタとティカが与えられた。カタはチペット式の歓迎の為の神聖なスカーフで、ティカは額につける赤い印。天の恵みの象徴であり、そして祝福を与えるという行為だ。ティカは他にヨーグルト(乳)と米をくっ付けてしまう場合があると聞いているが、生命の源をすべて額に集めてしまう行為はかなり新鮮だった。この第3の目は全知全能を表すらしい。
|
踊りや音楽は彼らの世界の中心だった ▲top
はぼ同じ時間での同時展開になってしまったので、他の先生方の授業はほとんど観れなかったのだが、わたしの授業の生徒の様子を話すと、およそ2メートルくらいの長机に5人が窮屈そうに座り、小学校3・4年生の合併クラスで42人が受講していた。教室の大きさは明徳高校の嗇通教室の半分程度。だから教室の中はすきまもなかった。その生徒達が全貝、まっすぐな視線でこちらを見つめている。私語はない。ノートを出させて、ロケットのデザインを考えてもらったが、真剣に考え込んでいる。ノートの紙質はかなり薄くぺらぺらだったが、こちらが用意した色船筆で色々なデザインが出来た。おそらく他の授業でも生徒達の様子はおおかた同じだったろう。 |
自分たちの魂の忘れもの ▲top 今回ディリチョール村を訪れ、彼らネパール山岳農民として考えることは、田畑のために明日の太陽の具合と、ヒマラヤから流れる水量のことのほうが第一の関心事で、テしビが映し出す虚構の世界ではない。少年や少女や冑年たちは生きていくため真剣な表情をし、ディリチョールの老人たちは穏やかな顔をしている。ネパールに来て思うのだが、顔の表情がいい。少年や少女の顔立ちもいいが、特に老人たちの顔の皺が生きてきた年輪のように正確に刻まれている。こんな老い方をしたいとネパールに来て思う。自然と供に生きているわけだから、ヒマラヤに住む山岳民族は「安寧」なのだ。自然に逆らうことは不可能であることは分かっているし、その安寧を獲得するために必要なものは音楽や踊りがあるような気がする。 |
2011年のネパールの政治空白
|
|